たで食う虫も好きずき


人の好みは様々であるという意味のことわざ「たで食う虫も好きずき」

「蓼(たで)」とは、川辺などに生息する植物の一種。
特有の辛味を持ち、刺身のつまにも用いられるが、そんな辛いものを好む虫もいるということ。

語呂合わせのことわざ

長寿で目出たいことを動物に例えた語呂のよいことわざ「鶴は千年、亀は万年」

男女の在り方を語呂合わせで表現したことわざ「男は度胸、女は愛嬌」

このことわざには続きがある、「男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経
それぞれにとって大切なものを語呂合わせで表現している。

鬼の居ぬ間に洗濯


怖い人がいない間に息抜きをするという意味のことわざ「鬼の居ぬ間に洗濯」

洗濯とは、衣類の洗濯ではないexclamation
本来の言い回しは「鬼の居ぬ間に命の洗濯」
日頃の苦労やつらさを洗い流して、リラックスするという意味。


子供は夫婦の間をつなぎとめるかけがえのない存在、という意味のことわざ「子はかすがい」

「かすがい」とは、木材同士をつなぎとめる「コ」の字型の釘のこと。

あちら立てればこちらが立たぬ


「あちら立てればこちらが立たぬ」、さらに続けて 「両方立てれば身が立たぬ」

一方に良いようにすれば、もう一方には悪くなってしまい、両方に都合良く、は難しいということ。

さらに続けて、両者の板挟みで困っている様子を表すexclamation

いずれの言い分ももっともと思われて、和解が難しいときに用いられる。

類似の表現に
「あなた祝えばこなたの恨み」
「頭押さえりゃ尻上がる」ひらめき

聞いて極楽 見て地獄



実際に体験すると大違いだが、「聞くと見るとは大違い」に対して、「聞いて極楽 見て地獄」は、聞いた様子に比べて、実際が非常に悪い場合に用いられる。

安楽を「極楽」、苦難を「地獄」に例えている。

極楽は、仏教でいう浄土で、死後の安らかな世界。
地獄は、現世で悪行をなすと追いやられる所で、閻魔(えんま)大王から責め苦を受ける。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、この極楽と地獄の二つの世界が表現された小説。

手塩にかける


「頭隠して尻隠さず」の由来となった生き物は、キジ。
猟師が近づいてくると、頭だけ隠し、長い尻尾が出ていても隠れたつもりでいるキジの生態から生まれたことわざ。

日本で「エビでタイを釣る」のことわざは、ドイツでは「ベーコン求めてソーセージを投げる」

いたずら好きの若者が、ドイツではありふれたソーセージを投げて、他人の家に吊るされた高価なベーコンに当てて落とし手に入れようとしたことから生まれた。


御膳に添えられた少量の塩を「手塩」という。
手塩は、食べる人が自ら振りかけ味付けを行ったことから、直接自分で手を掛けて世話することを「手塩にかける」

二の舞いを演じる

「二の舞いを演じる」
「二の足を踏む」と混同して「二の舞いを踏む」とするのは誤り。

「二の舞い」とは、舞楽の曲名exclamation
「按摩(あま)」の舞に引き続いて演じられ、老爺と老婆が按摩をまねるが失敗する、という滑稽な舞い。

そこから、前の人や前の時と同じような失敗をするたとえになった。

ちなみに「二の足を踏む」は、一歩目は出したものの2歩目を出すのをためらって、その場で足踏みをすること。
どうしようかと迷う気持ちを表す。

仏教から生まれた言葉

「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」とは、修行僧が心身ともに清浄
になるよう願いを込めて唱える言葉。
六根清浄が語源になった言葉が「どっこいしょ」

「六根」とは視覚や聴覚などの感覚機能を表す仏教用語。

山修行を行う際に「六根清浄」を唱え心身の浄化に努めるが、長く辛い修行の道中、疲労がたまり「六根浄(ろんこんじょう)」と略され、疲れ切った時には「どっこいしょ」と聞こえてくるようになった。

その山修行の名残りから、現在でも疲れた時に「どっこいしょ」を使うようになった。

ちなみに「じゃんけん」も仏教から生まれた言葉。
仏様の判断にお任せします、という意味で使われる「料間法意(りゃんけんほうい)」が転じて「じゃんけん」と呼ばれるようになった。

名物にうまいものなし

「名所に見所なし」ともいうexclamation

その土地の有名な食べ物は、案外うまくないものだ、ということ。
食べ物に限定せず、とかく評判倒れのものが多いというたとえ

名物の中には、知名度に依存した手抜きもあるでしょうし、その土地以外の人の味覚には合わないということもある。

期待ははずれることが多いので、ほどほどにしたほうが良いという言葉かわいい

弱冠・鳴かず飛ばず

今一つ冴えていない、という意味で使う「鳴かず飛ばず」
元々の意味は、「活躍の機会をじっくりと待っている

「間に合う」の「間」とは、時間のことを表すものだと思われているが、本来は「畳の大きさ」のこと。
畳の大きさがぴったり合うことから「用が足りる、十分足りている」という意味となった。

初老」とは、本来40歳のこと。
平均寿命が短かった平安時代では、40歳で長寿を祝っていた。
石川県加賀市では、毎年40歳の男性が「初老神輿」を担ぎ、長寿・厄払いを願う行事が行われている。

「弱冠」とは、本来は20歳の男子だけを指す言葉だった。
昔、中国で20歳になった男子に、大人の証として冠を被せたことに由来している。

一寸先は闇


少し先のことが今後どうなるか、明日のことさえわからない、ということ。

先の見通しのつかないことを「闇」にたとえ、多くは悲観的に用いられる。

「絶望的なこと」
「人の目に触れないこと」
「思慮分別のないこと」を、「闇」ともいう。

闇に暮れる  
 悲嘆のあまり分別を失う

闇雲 
 前後の思慮がなく、むやみやたらなさま。

闇から闇に葬る 
 世間に知られないように、跡も残さず物事を始末する。